すべての悩みは人間関係の悩み、ああ確かにそうかもしれない
最近続編が出た、ベストセラー『嫌われる勇気』。
アドラー心理学を物語形式で解きほぐしたもので、納得いくことも多くおもしろい本でした。
『嫌われる勇気』自体はもう1年前位に読み終え、なんと内輪で読書会まで開いておりましたが。最近、続編の『幸せになる勇気』を読んだり、新しい個人的な悩みがたくさん発生したりする中で、『嫌われる勇気』の理論と現実を無意識の内に、比較していました。
ちょっとそのへんのところを、頭の整理も兼ねてかいてみます。
(心理学の理論がばりばり出てくるわけではなくて、あくまでリファレンスするだけなので、『嫌われる勇気』を読んでいるいないに関わらずご理解はいただけるかと)
「すべての悩みは人間関係の悩みである」
アドラー心理学のこの教えはなるほど言い得て妙であります。
自分のやりたいことができない、という悩みは、
他者の視線を気にし、「やりたいことをやりはじめたら、白い目で見られるのでは」「嫌われるのでは」という恐怖感があってのこと。
自分はなかなか会社を飛び出せずにいるのは、他者の目を無意識に気にしているからなのだろうなぁ。
他者の目を気にせずに飛び込めよ! というのはそりゃそうだ。
しかし、理屈はわかっても人間そんなに強くはない。
だから、一歩を踏み出すのが難しい。そう思うし、それが現実だと思う。
さて、やりたいことをやる、という話よりも卑近な例としては、
周りの人に言いたいことがいえない、という悩みもあったりしますよね。(会社なら、上司とか、部下とか)
それもまた、「こう言って、変に思われたらどうなるか?」という人間関係の悩み。
そんな心配、相手の心境は完全に理解できないんだから、気にするな! という感じでアドラー心理学で言いますが、ああ悲しい哉、世間体だとか、体裁だとかいう人間社会のしがらみに絡めとられ、自由な発言は非常にし難いのが現実ではありませぬか。
そんな自分の弱さを感じつつ、アドラー心理学のまっすぐさを羨む。
現在進行形の自分、なのかも。
悲しい。悲しいが、心のどこかで「これをネタに生々しい人間どろどろな作品描けそう」とか思っているのは健全な証拠?
すごい取り留めなくなってしまいましたが。
結論、生きるって難しいね!
記事の中ではアドラー心理学、および『嫌われる勇気』の理論について、そんな簡単じゃないだろ的なことかいてますが、決して否定ではなく。
「簡単じゃないだろ」っていうことが理解できた、「簡単じゃないけど、こうすればもっとよいはず」っていうことが理解できた、という意味において、この本すごい効き目があったと痛感します。
『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』、どちらもレビューって形では書いてませんが、
思うところはあるので、ちょいちょい取り上げさせて頂くかもしれません。
アドラー心理学、結構おもしろい。