絵でしか伝えられないものもある
昨日あげた桜の絵。
某所であげたところ、海外の方から英語で、綺麗だ、日本の桜見てみたい。。とコメントをいただいた。
それを見て、なぜか涙がとまらなかった。
桜の写真なんてたくさんある。
ぐぐればこれでもかといわんばかりにでてくる。写真は写真で良い。
しかし、絵は。
絵は、自分が感じたことを、自分がおもうままに描き出せる。写真とは違う、あり得ない姿であっても。感じたままに、美しいと思ったらその、美しいと思った姿を描く。
作家が感じた感覚は、絵を介して、
誰かに間接的にでも、伝わっていけるのかもしれない。
桜を描くときは、綺麗だな、こんなかたちしてるんだな。。って思いながら描いてて。
当然、私の主観で描いていた。
でも、自分が感じた桜を、何割かは描き出せたとおもう。
それが、海を隔てた誰かに、その感動を、桜の美しさを伝えられた? ほんとにそうならば。
これ以上の幸せはないよ。
例えそれが一人であっても。。
心のどこかで、絵は自己満足だという悩みから抜け出せずにいた。仕事の傍ら続けられればいい、ライフワークだ、という大義名分のもと。
それが、ひっくり返った。
海外の、名も知らぬ誰かのコメントだけで。
絵で、誰かを幸せにできるのか?
そうなのか?
そうなのかもしれない。
だったら、何も後ろめたくおもう必要もない。
まだ落ち着かないけど、
とにかく、
コメントをくださった方には本当に御礼をいいたい心地です。。
そんななか、今日は落書き。
うまくいかずぐしゃっとやってたら、なんか少年ができた。いつも眠たい西川君、って感じかな?