目から鱗。『サピエンス全史』レビュー&最近のこと
SF、ミステリ、ビジネス書がメインの読書生活。と、そんな中で前の上司に勧められた『サピエンス全史』。
歴史書、に入るのかな? 久しぶりに読んでみよう、と手に取り。たまに忙しくなってつかえるときはあったが、本日完読しました。
……まさに、目から鱗な本です。
非常に、おもしろかった!
内容は、前史時代から現代まで幅広く網羅しています。
とはいえ、単なる歴史書ではなく。
- 何故我々サピエンスだけがこれだけ地球上でのしあがっているのか?
- 何故今資本主義なのか?
- 何故科学や数学がもてはやされているのか?
こんな、今ここの世界がいかにして成り立ったのかを、理路整然と独自の視点から語っている本です。
裏付けのデータも盛り込み、論理的に展開していますが、訳のうまさもあるためか、非常に読みやすいです。
正直、結構衝撃的な話も多くて。
著者の歴史観、と一歩ひいたとても、非常に論理明快であり。
なんともまぁ…今働いている「会社」とか、生き方とか、幸せとか、何だか色々考えちゃいました。
あーあ…もうこれだけ馬車馬のように働いているのって、結局中世の奴隷と構造としては同じじゃないの…とかね。社畜とは言い得て妙、であると。
と、読み終わった後は、最近のやばい激務の疲れもあってか、なんだかかなしみに暮れていましたが。
なかなか示唆に富む非常におもしろい本であったことは確かなので、ご紹介でございます。
個人的にこれはおもしろいなーと思わず線ひきまくったところをPickupです。
(中身知りたくない人はご注意を)
「小麦が私たちを家畜化した」
稲作を行うことで、人は食料を増やすことができ、人口も増加……。
というのが通説なんですが、なんと著者の論理は、小麦がホモ・サピエンスを操り、今や世界で225万平方キロメートルの地表を覆っている、という。
ホモ・サピエンスは小麦に出会ったせいで、農耕に移行し、椎間板ヘルニアや関節炎等の多くの疾患をもたらした…しかも、小麦の面倒を見るために、定住化せざるを得なくなった。と。しかも小麦だけでは栄養素足りてないし、不作になったら食えないし、栽培のための土地のために争いも起こって…と。
実は全然小麦氏は、ヒトにいいもん与えてなかった! とうのが著者の訴え。
いや確かにごもっとも、そして小麦美味いけどこわっ!と思いました。
「虚構が協力を可能にした」
ホモ・サピエンスは、言語を使い、「虚構」、すなわち架空の事物について語ることで、共通の虚構を持ち、他の動物と違う強力関係を築くことができた。
元々、ホモ・サピエンスは大規模なネットワークを築くのに必要な生物学的本能を欠いているのだが、このような特徴ゆえにそれが実現できてしまった。
虚構というのは、神話だったり、宗教だったり、法人だったり。人権だって、そう。客観的・具体的にものとして実在しないものを指します。
そして、その虚構は疑いなく信じられなければ協力関係は築けないので、それが客観的実体であるという理由付けをする。神がこう言っているから…、人権ならば元々人が備えているから、と。
そんな論を読んで今を振り返れば、我々が信じているもの、生きているコミュニティって、そんな「虚構」で囲まれているなぁ、と思います。
「人々は進歩という考え方によって、しだいに将来に信頼を寄せるようになった」
人は日々進歩する、なんて今いっても別に違和感感じないんですが。著者は、かつては進歩という考え方はなく、将来も特にかわらずに世界が動いているという考え方だった、と言います。
進歩すると思うから、将来に信頼を寄せる。だから、将来のために何かをする人々への「信用」が生まれる。それが、融資や投資を可能にし、少数のコミュニティが大規模な活動を行うことができるようになり、経済成長をもたらした。
そして、得た利益はさらなる進歩に向けて、再投資される。
これが、資本主義。
そして、世界はこの資本主義で今なお回っており。最近科学や数学が歴史や文学より盛んなのは、科学や数学といった科学技術に投資すれば、将来の利益があると思われているから。そんな論が展開されます。
そしてそこにプラスされた鋭い論が、このような自由市場資本主義は、利益が構成な方法で得られることも、公正な方法で分配されることも保証できない、という点。
利益を得ることにとらわれ、それ以外をないがしろにしてしまう。
奴隷貿易だって、利益を得るために行われたこと。
そして、本には書いていなかったが、個人的には…今の会社だって、同じような部分があるなと感じました。ブラック企業といわれるものだってそうなのでは。従業員の苦しみを無視し、利益を上げ、と。自分もブラックとまではいかずとも、まぁそれに近いようなね。
私は、小学校のころかな、株式会社というカタチに違和感を持ったことがありました。株主に利益を還元し続けなければ、株は売られてしまう。常に成長し続けなければいけない、この会社の在り方……。
ずっとずっと成長し続けなければいけないって、苦しくないか? 拡大しなくても、そのままだっていいじゃない? チェーン店だって、もう一杯だし。地元の商店街とか消えるのはやだなぁ…
と、子供心に思っていたのですが。なんかこの論を読んで、なんとなくその違和感の正体がわかったような気がしました。
会社で働いている時点で疑問に思っちゃいけないんでしょうけどね。ただ、原理を知って自覚的になるのはそれはそれでいいことかな。(ちょっと苦しいけど)
「私たちは何を望みたいのか?」
結びの言葉がこれです。
今やサイボーグや、遺伝子操作までしてしまい、ホモ・サピエンスではない何かになろうとしている我々……。
それらは、病気の治療に寄与する等、社会的に意義を認められ、かつ利益を生み出すものであり、投資は継続される。どういう形であれ、この流れは止められない。
では、この先我々は、何を望みたいのか?
と、駆け足でしたがこんなところが興味を引いたポイントでした。(もっとあるんだけどきりがない!!!)
実際には、論理が全部積みあがって繋がっているので、だいぶ分かりにくいと思いますが……少しでも興味を持った方はぜひ一読を。
何を望みたい、か…というところで、思わず悩んでしまいました。
幸せってなんだろうなぁ……。
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さて、更新が停滞しておりましたが
7月末頃から、急遽チームリーダー的な立場になってしまって、若者たちをまとめなければならなくなり…部署移動に近いくらいの環境の変化(人も、場所も全部違う)もありーの、上司が病に倒れるだのあり、
更にそこにプライベートでも近しい人が倒れ……。
と。
正直、入社以来精神的にも肉体的にも、ぎりぎりな1か月でした。
今も若干その気はありますが、ちょっとは落ち着いたかな。
チームをまとめるとはなんぞや、とか、お客さんのために何かをするとは何ぞや、とか、もやもやっと語りたいことがたくさんありますので、そのへんは小分けで書こうかな。
あ、あと、音楽アルバムのデザインをやらせていただきましたので、次回あたりそのご紹介もさせていただきます!
『不染鉄展』『川端龍子展』『吉田博展』感想メモ:日本人の美意識を感じる世界
大学時代、週1回行っていた美術館……。最近は少々おざなりになっておりました。
だがしかし!日本画を始めたこと、都心に住み始めたことも手伝ってか、最近はかつてのような勢いで行っております!
ということで、現在開催中の展示会たちの感想を書いてみます。今回は日本人作家の展示群ということで、下記3点の展示について。
混雑度なんかもご参考に書いてみますので、ご興味持たれた方はぜひぜひ足を運んでみてください^^
不染鉄展
1891年に生まれ、長年絵筆をとりながらも、途中画壇を離れ、独り制作を続けてきた作家。それゆえ、回顧展は21年前以来の開催となります。
日本画の作家でありながら、図面構成が非常に合理的・デザイン的で。自然から題材をとりながらも、個々の作品で独自の世界を創り、完結させているという印象です。
一時期伊豆に住んでいらっしゃっていて、伊豆の海や風景をよく描かれているのですが、「海」というよりは、海からエッセンスを抽出して描きつけられた「不染鉄の海」となっている。
3次元ではありえない構成もあったりするのですが、不思議と調和していて。ある種モダンな日本画とでもいえるような、不思議で独特の世界があります。
線画がきっちりしているから、少しイラストにも似ているかも。
不染鉄。染まらない、鉄。まさに、その名の通りの頑固な美意識が感じられます。
展示は5章構成になっているのですが、当時のスケッチや、手がけた工芸品もあり、非常に見応えがあります。日本画好きの方は是非。
展示名 :没後40年 幻の画家 不染鉄展
開催場所:東京ステーションギャラリー(東京駅ナカ)
会期 :2017年7月1日(土)-8月27日(日)
ジャンル:日本画
公式HP :東京ステーションギャラリー - TOKYO STATION GALLERY -
混雑度 :★☆☆ゆったり見れます(会期初期の土日朝イチに行きました)
ボリューム:★★★会場も広く、見応えアリ
こんな人へオススメ:日本画好き、デザイン好き
川端龍子展
1885年に生まれ、20代は挿絵画家として活躍。その後、画壇に登場するも、大衆に迎合する「大衆芸術」と非難され、脱退。その後会を主宰し、描き続けた作家の展示です。
個人的に非常に感動したのは……迷いのない筆遣いと、美しい色。
筆遣いが本当にもうなんだ…すごいんですよ。迷ったら絶対に筆致に見えてしまうだろう場面でも、全くそれがない。巨大な作品にあって、絶対に失敗できないような局面にありつつも、迷いがない。そして、筆致で自然が鮮明に描写されているんです。草の構造、葉の厚みが、その一筆一筆の重なり合いで描き出され、しかもそれが「わかる」。
半端ないです……。
特に、HPなんかにも出ている『草の実』という作品。これ、ほんとすごい。是非会場にて間近でみていただきたい。
黒い背景と、草のコントラストもそうですが、筆遣いが本当にため息がでるほどすごいです。
しかも、これ作家の家の近くの雑草を描いた、というから驚き。
でかいすごい題材を探さずとも、身近でモチーフをみつけ、しかもここまでの大作に描き上げる、感性と観点が素敵です。
開催場所:山種美術館(恵比寿駅徒歩10分)
会期 :2017年6月24日(土)-8月20日(日)
ジャンル:日本画
公式HP :【特別展】没後50年記念 川端龍子 ―超ド級の日本画― - 山種美術館
混雑度 :★☆☆ゆったり見れます
ボリューム:★☆☆個人的にはもう少しほしかったかなぁ
こんな人へオススメ:日本画好き
吉田博展
1876年に生まれ、風景画の第一人者として活躍した吉田博の展覧会。風景画を多くのこしていますが、後年は実際に登山に取組み、登山家としての活動をしつつ、そこで観た風景を作品として残しています。
木版画の作家とみなされていますが、水彩、油彩も描いていて、今回の展覧会でも展示されています。
とにかくこの作家は、モノのカタチをつかむのがとてつもなくウマイ。しかも、描き始めて早々にその力を発揮しています。(小学4年生のころのデッサンが展示されていましたが…えっ小4?という次元)
鉛筆で明確にツカむがゆえに、線画だけでも非常に緻密で。
デッサンや水彩は少々アニメの風景画のごとき繊細さです。
後年の木版画も好きだし素晴らしいんですが、初期の、特に水彩画が個人的にはかなり好きです。自然をつぶさに観察した跡が見えて、豊かな自然のとらえ方が垣間見えます。渓流ひとつ描くにしても、岩のひとひひとつ、色を変え、明確に描きだしていて。大変美しいです。
色の出し方が非常に巧妙です。
1作品毎に表現したいものが明確で、それに沿った版の重ね方をしていて、見ていて非常に明快で、すっきり。それでいて、色の重なり合いにうっとり。そんな作品がたくさん展示されています。
特に、登山家としての活動による雲海や滝のモチーフ、海外周遊による異国の景色は幅広い題材を作家に提供しており、観ていて飽きません!!!
技術が非常に高いため、安心して観れます。
美術が好きな人万人にオススメできる展覧会です、ぜひ。
展示名 :生誕140年 吉田博展 山と水の風景
開催場所:損保ジャパン日本興亜美術館(新宿駅徒歩5分)
会期 :2017年7月8日(土)-8月27日(日)
ジャンル:水彩、油彩、木版画
公式HP :吉田博展 | 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
混雑度 :★★☆入場待ちではないがかなり混んでいます
ボリューム:★★★お腹いっぱいっす…
こんな人へオススメ:絵が好き、水彩好き、木版画好き、風景画好き
以上!
ご参考になれば幸いです。
やはり、展示にいくと創作意欲も刺激されますね!日本画がんばるぞーーー!
あとは、全然別ジャンルで『しんかい展』もいったんですが…あまりに違うので別途書きます笑
料理は日本画に似ている
お盆です。久しぶりの休みです、やたーーー!
気づいたら有給が40日以上たまってまして…丁度来週はプロジェクトでお休みとれるとのことで、やっとやっと有給消化です。ふふふー
旅行もいいんですが、この時期どこも混んでいるのと、今年は引っ越しもろもろで金かかったので自重。つか、お盆明けに向けて仕事の勉強もしとかねば。
ゆったりゲームしたり、絵描いたり、勉強したりするのを中心にしよっかなと。
さて、一人暮らしをはじめていつの間にか半年が経過しました。
なんだかんだで、実家と同程度に健康的な生活を送っている気がします。(忙しい時は睡眠不足というのはまぁ…仕事の都合なので変わりませんが。)
そして、一人暮らしゆえに気づくことも多く、はじめてよかったなーと非常に思っております。
その一番の気づきは…。
料理は楽しい!ということ。
最近とても料理にハマってまして、実家で全然作っていなかったのに、今や朝は必ず、昼は弁当を持参…というほどに、日常に定着しております。
何がおもしろいかというと…
- 絵を描くことと同様、「創ること」である。
- 作ったらすぐに食べるので、そこで必ず一度「完成」する。翌日ゼロからまた作る。
- 素材に触れると、素材の色や、カタチの美しさにはっとされることがある。
- 盛り付けで美的センスが問われる。
- 盛る器によって見栄えが全然変わる。
なんてか…最近日本画を学んでいるのですが、まさに「日本画」に近いような気がしました。「器」を選び、「自然の素材」を駆使して別のものを創り、美しく「盛り付ける」。
「器」は日本画でいえば支持体。料理では食器。
「自然の素材」は日本画でいえば岩絵の具。料理では食材。
「盛り付ける」は日本画でいえば描く行為。料理では調理・盛り付け。
油絵とかも同じでは?って?確かにそうなんですが、自然の岩を砕いて創られた「岩絵の具」という素材は、より西洋の絵の具よりも自然物に近い、かと。
と、こんな心持ちで日々調理しているので、
「おおこのミョウガ…色がなんと美しい!」
「美しく盛り付けられた。だが、赤が不足しているな…」
等、料理しながらひとり変態チックな発言を漏らしております。……一人暮らしって、独り言増えますよね?え?自分だけ???
……ここまで描くと、料理めっちゃうまく見えますけど、まだ初心者っす……。
料理の入門書の料理を片端から作っておりまする。
料理のおもしろさ、奥深さは、上記のような個人的な経験、およびその洞察によるものもあるのですが、料理研究家の土井善治さんの本でよりそれが助長されました。
料理は1汁3菜というが、1汁1菜でよい!という独自の主張を展開している本です。
ただし、その主張は、日本人の美意識、食生活に根付いた思想に裏打ちされています。
単に手抜きをしろ、というのではなくて。現代の生活に合わせつつ、季節を感じて食を楽しむにはどうすれば?という話です。
料理を通じて日本の文化、日々の生活まで考えさせられる、非常におもしろい本です。
料理好きの方はぜひ…!
ということで料理なエントリーでした
いよいよこのブログがごった煮になってきている…(汗)
あ、そうだ最後に
自分は毎日22時、23時帰りですが、毎朝の料理はほぼ必ずしています。これは自慢とかではなくて、やりようと習慣でいかようにもなるよ、ということです。
むしろ、料理という習慣があるゆえに、朝の生活がより活動的で活発になっている感じがしております。。。忙しくても、料理を通して自然に触れて、美味しいもの食べられたら結構幸せになるものです(^^)
そろそろまたイラスト描きたくなってきました。お盆に何かあげたいなぁ。
自由に生きることにしたはいいが忙しすぎる
仕事への覚悟を決めたところで、担当プロジェクトが変更になりました。
自分はコンサルティング業界なる、やや特殊な業界におりまして、プロジェクトの移動はある種部署異動に近い。いや、部署内異動、レベルか?
急な移動のため、引き継ぎしながらのキャッチアップ。。ひええ。。
引き継ぎの一環で、社内の成果発表があり、その準備と、キャッチアップ、引き継ぎ作業に板挟み状態に。。
なおかつプライベートでもデザインのお仕事、習い事と。。我ながらアホみたいな過密スケジュールになってました。
成果発表では、今巷で話題のAIのひとつ、機械学習に関する発表でして。より理解を深めるために、毎朝5時起きでプログラムの勉強。連日3時間睡眠。しんどい。ゲームやりたい。睡眠負債蓄積してる感ある。
自分にとっても勉強になったし、後悔はしてないけど、さすがにへろへろです。。
ちなみに、眠い目こすりながら夜やるより、朝仕事やるほうが、遥かに効率良かったです。
必死になれば、案外起きられるものです。早起きして、フレンチトーストでも作って、コーヒー飲みながら仕事。意外とはかどります。
(起きられるのは、アドレナリンめっちゃ出てるだけな可能性もある)
人生ってこんなふうに、ばたばたと進んでいくのかなー。。と思うと切ない。
創作もできてないんだが、これはもうしかたない。。ただ、創作は何かしら、製作中のものがあれば、一日数分でも手をつけられるような気もしてて。今週はそれを実践しようかと。(投稿用漫画描いてるときは、一ヶ月ほぼ毎日描いてた)
昨日は仕事おいて、リフレッシュしてきましたので!!!今日からまた頑張ります!(・・)o
夢をみるのはやめてもっと自由に生きることにした
かなり、ご無沙汰になっちまいました!!すません!!
この二ヶ月、色々ありまして。
日々過ごしながら、考え考え。
ずっと、数年、もしかしたら新卒の頃からずっと、もやもやと悩んでたことに、ケリをつけました。
ゆくゆくはクリエイティブで生きていきたいと思って、転職活動したり、作品投稿したりしてて。
仕事はめちゃくちゃ真面目にプライドをもって取り組んでたものの、悪く言えば一時的な足掛けという意識がどこか、あった。
何か問題がおこって、その場面ではめちゃくちゃ反省しても、いつかはクリエイティブいくし、多少できなくとも。。という言い訳があった。(そうでもしないと、プレッシャーに潰されそうになったこともあった。)
会社でも、自分のデザインセンスはもてはやされていて、心のどこかで「井の中の蛙だ、本職のデザイナーには絶対、勝てない」とわかっていたのに、天狗になっていた。
でも、最近、自分のデザインスキルが大したことないこと、
自分が創作で実現したいものは、社会で必要とされているかはわからないこと、
やはり仕事は仕事でおもしろいこと、
そんなことに気づく場面があって。
「仕事は一時的、頑張るけどいつか創作で生きる」
というスタンスから、
「仕事は仕事で楽しみ、頑張る。お金もここで稼ぐ。
創作は、自分が創りたいものを自由に創る。表現方法は問わない、食っていけるかどうかは結果論であり、重要視しない。」
というスタンスに変えました。
結論が遅すぎて、色々なひとに迷惑かけまくったけど、過去は変えられないので、
これからで恩返しします!
結論を出すにはこの長い悩みの期間も必要だった。。と思うしね。
日々ずっとどこかで考えてて、辛かった。。
このスタンスの切り替え、たいしたことなさそうに見えて、かなり違うっす。。!
まぁそんなわけで、心機一転毎日楽しくやってこーと思います!
このブログもいままでと同様よりももっと激しく?!ごった煮して書きます!
続けるための仕組み作りとは
今回は、何かを続けるための仕組みをどう作るべきか、直近の自らの経験を踏まえて考えてみます。
絵が、自分の中でスタックしている。
一方で、ギターはなんの迷いもなく進めている。
この差は一体何なのか?
と思ったのですが、ちょっと分析したらすぐ明白になりました。
鍵になるのは、下記3点。
- 評価 ー 評価サイクル、およびその強制力
- 目標 - 目標の具体性
- 学習 - 自分の師となる人の有無
ギターは、全部うまくいってる。絵は、全部だめなのです。
順にみていきます。
1. 評価 ー 評価サイクル、およびその強制力
他者からの評価を受けることで、客観的な評価が分かります。
評価によって、褒められれば、やる気が出る。
問題点を指摘されれば、改善すべきところが分かる。
評価がなければ、延々と自分で悩むことになり、悪ければ出口のない迷宮をぐるぐると回るハメになってしまいます。
だから、まず何より「評価される場」を設けるのが重要。
さらに、その「評価される」サイクルが早く、
また強制的であればあるほど、フィードバックの回数が増え、自分がどう動くべきか、どういう立ち位置にいるのか継続的に把握し、行動につなげることができます。
自分の場合
ギター:◎「2週間に一度」のギターレッスンで、「必ず」評価される。
絵 :×「不定期」のブログ・SNSへの掲載で、「たまに」評価される。
2. 目標 - 目標の具体性
目標が具体的であればあるほど、やるべきことが明確で。迷うことがなくなります。
目標が不明瞭だと、やるべきことが散漫としてしまい、結果も出ません。
自分の場合
ギター:◎Lee Ritenourの「Captain Fingers」が弾きたい
絵 :×動物とかSFとか描きたいかな…日本画も漫画もいいなぁ…
3. 学習 - 自分の師となる人の有無
師となる人がいれば、技術面、精神面で的確なアドバイスがもらえます。
いなければ、一人で悩んでしまいます。
自分の場合
ギター:◎ギターレッスンの先生が師匠
絵 :×憧れの人は数名いるが、師事はしていない
以上。
うーん、自分のケース見て頂くと明確ですね。
コンサルタントなのに、自分のことまともに分析できてなかったなーとか…。ははー。
なんとなく、「目標」が一番重要な感じもします。
目標は具体的にってよくいうけど、そうかも。
それこそ、絵だったら、「甲冑まとった魔物が、崩壊しつつある城からお姫様を助けるシーンを描くのだ!」ってくらいまで落とし込んで、ひとつひとつこなしていったほうがいいのだろうかなー。
あるいは、「この絵師のこの作品を完コピする!」っていうのもいいかもしれません。
武道でも「守破離」っていいますが、まずは真似から。次に自分のオリジナルを作る!と。
ということで、何かを続けたいが続かない方、
「評価」「目標」「学習」、それぞれどんななってるか、見直してみるのもよいかと思います!
ーーー以下は個人的な内省録、暗いけど、絵描きで悩んでいる人は共通点あるかも。ーーー
絵はほんとに今後どうすべきか…。
心の奥底で、「小さなころからずーっと続けていて、自分には絵しかない、だから手放したらもう自分はなんの価値もないんじゃないか」という想いが淀んでいる。そんな気がしている。
昔から絵がうまいねーって育った人は、同じような思いしている人もいるんじゃないかな…。
もう少し掘り下げると、
変なプライドが邪魔して、「自分は絵が結構描けるべき!だから、うまく描けないのはただのスランプ!」ってばかり言い訳して、まともに自分の実力と向き合えてないというのもまた問題として、あります。
もっと純粋に、絵という表現に向き合いたいものです…。もやもやする…。
(そういう意味では、今「弾きたいから弾くんじゃ!」というギターへの想いは、超ピュア。。。この気持ち、ほんと大事です)
そんな感じ。